ある会計事務所の所長の方から、こんな相談を伺ったことがあります。月次の打ち合わせで、顧問先からこう切り出されたそうです。
「最近 AI ですごく業務が楽になったって聞きました。うちの顧問料、もう少し下げられませんか」
その場では「いえ、そんなに単純な話ではなくて」とお返事されたそうですが、帰り道に「では何が変わって、何が変わらないのか」をご自分の言葉で説明できるか、改めて整理したくなったというお話でした。業務の一部に AI を使うようになってきた事務所では、似たような場面に立つことが増えてきているようです。
ここでお伝えしたいのは、値下げ圧力にどう抵抗するかという話ではありません。顧問料の中身を、改めて顧問先と共有できる粒度に整え直しておくと、業務に AI を組み込んだ後の価格議論が落ち着いて進めやすくなる、というお話です。
本稿の内容は 2026 年 5 月時点の公開情報を踏まえた整理の一例で、実際の価格改定にあたっては所属士業会の規程・顧問契約書・顧問先個別の事情を踏まえた検討が前提になります。
顧問料を 3 層に分けて見てみる
顧問料を「月額 X 円」と一括りに見ると、AI が業務に入ってきた後の影響を顧問先と話しにくくなります。実務の中身に踏み込むと、顧問料はおおまかに 3 つの層で見ることができます。
| 層 | 内訳の例 | AI が業務に入った後の方向性 |
|---|---|---|
| 作業の対価 | 仕訳入力・転記・定型書類のドラフト・データ集計・議事録の一次起こし | 短縮されやすい |
| 専門判断の対価 | 法令解釈・判断業務・税務/労務/法務の評価・最終チェック責任 | 維持・引き上げ方向で考えやすい |
| 継続支援の対価 | 月次面談・経営相談・関連士業や専門家との連携・突発相談対応・継続関係の維持 | 維持・引き上げ方向で考えやすい |
この 3 層を、顧問先と共有できる言葉に翻訳できているかが、価格を話す場面の出発点になります。「顧問料に何が含まれているのか」が契約書・サービスメニュー・月次レポートのどこにも書かれていない事務所も少なくないようです。AI で短縮されやすいのは主に作業の層で、専門判断と継続支援は AI に置き換えにくい場面が多い、というのが現場でよく聞く整理です。
AI が業務に入りやすい場面
「AI でいろいろ自動化できる」と言われると話が大きくなりますが、士業事務所の業務で AI が実務として効きやすい場面は、現時点ではある程度限られています。よく耳にするのは次のようなところです。
- 仕訳・伝票入力の補助 (= 会計 SaaS の AI 推論機能・OCR 連携)
- 定型書類のドラフト作成 (= 議事録、 契約書ひな形、 申請書の初稿)
- 過去事例の検索・要約 (= 所内ナレッジ・公開情報の一次調査)
- 顧問先からの問い合わせの一次返信ドラフト
- 月次レポート・面談準備資料の素材作り
いずれも共通しているのは、人がレビューする前提の下ごしらえに AI を使う、という形です。最終判断や成果物としての完成度は、士業の方ご本人の専門性と責任の範囲に残ります。
短縮されやすいのは作業時間で、責任やレビュー工程はそのまま残ります。仕訳入力が半分の時間で終わるようになっても、「最終チェックを誰がいつ行うか」「ログをどう残すか」は変わらず必要です。むしろレビュー側の工数比率が相対的に上がる場面が多く、レビュー単価=専門判断の対価の重みが増していく方向に進む領域だと感じています。
専門判断と継続支援が残る理由
AI で短縮しにくい、あるいは業務に AI が入ったことでむしろ重みが増す領域があります。顧問料の話をする場面では、ここを意識的に切り出して説明しておくと、議論が建設的に進みやすくなります。
専門判断の対価が維持・引き上げ方向で考えやすい理由として、現場でよく見るのは次のような場面です。
- 法令解釈・判断業務では、AI が条文や過去事例を提示できても、目の前の顧問先の事実関係に条文を当てはめる最終判断は士業の方ご本人の責任領域に残ります
- 顧問先に提出する成果物に AI の下書きが含まれている場面では、誤りが残っていれば責任は士業側に帰着します。AI 出力の検証そのものが新しい専門業務になってきている、というご相談も増えています
- 申告・申請・登記・契約締結に関わる書類は、士業として記名押印・電子署名する責任が AI に置き換わるわけではありません
総務省・経済産業省「AI 事業者ガイドライン」でも、AI を業務で利用する事業者に対し、リスクベースでのガバナンスと人材育成が求められる旨が示されています。AI が業務に入ったから責任が軽くなる、という方向ではない、という点は前提として押さえておく必要がありそうです。
継続支援の対価についても、現場で見るのは次のような場面です。
- 過去の経営判断・人間関係・業界事情まで把握したうえでの助言は、汎用 AI には置き換えにくい場面が多い
- 税務・労務・法務・登記を跨ぐ判断や、銀行・行政との橋渡しは、顧問という立場でこそ成立しやすい
- 突発相談・夜間対応・現地確認では、AI が回答候補を出せても、「うちの顧問の先生に聞いた」という安心感そのものに対価が払われている側面が大きい
「AI でも作業できる範囲」は単価が落ちやすい一方で、「この事務所だからこそできる判断と支援」は希少性が相対的に高まる場面が増えてきている、と感じています。
価格表を見直すときの 4 つの形
3 層の構造を踏まえると、顧問料の見直しは「全部下げる/下げない」の二択ではなく、いくつかの形に分けて考えることができます。
| 形 | やり方 | 向く場面 |
|---|---|---|
| 据え置き (中身入替) | 顧問料総額は変えず、 短縮できた工数分を支援メニュー (= 面談頻度・レポート充実・即応対応) に振り替える | 顧問先との関係を維持しつつ、 値下げの話題を分散したいとき |
| メニュー分離型 | 「定型作業」 「専門判断」 「支援・面談」 を別建てで価格表示し、 それぞれ単価を出す | 顧問先が費用構造の納得感を求める場面 |
| 下げる代わりに範囲限定 | 顧問料は下げる一方で、 サービス範囲を作業中心メニューに絞り、 専門相談・突発対応は別途見積もる | 顧問先側で AI を業務に使う場面が増え、 定型作業の自走度が高いとき |
| 上げる代わりに価値追加 | 顧問料を引き上げる代わりに、 AI を組み合わせたレポート・経営ダッシュボード・KPI モニタリング等の新メニューを追加する | 顧問先が経営判断材料を求めている場面 |
どの形を取る場合でも、「何が顧問料に含まれていて、何が含まれていないのか」を文書化しておくことが前提になります。AI で短縮された工数を口頭の安心感だけで消化してしまうと、結局「下げてくれ」のお話に戻りやすくなります。
顧問先との話の組み立て方
顧問料の話を切り出すときは、価格の上げ下げ自体を主題にせず、「何にお金を払っていただいているか」を共有する場にしておくと、議論が建設的に進みやすくなります。次のような順序で話を組み立てている事務所もあります。
- これまでの顧問業務には 3 種類の作業が含まれていた (= 定型作業/専門判断/継続支援) ことから切り出す
- このうち定型作業の一部に AI を使い始めたことを共有する (= 具体例で)
- 短縮できた工数を何に振り替えるのかを示す (= 面談頻度/レポート充実/突発対応)
- 専門判断と継続支援は AI が業務に入った後でも重みが増す場面が多いことを共有する
- そのうえで、価格表とサービス範囲をどう見直すかをご提案として出す
「値下げや値上げの理由を、顧問先と共通の言葉で説明できる」状態を作れるかどうかが、価格のお話の流れを大きく左右します。
価格議論の前に整えておく土台
顧問料の話をする場面では、AI を業務に組み込む前提として、セキュリティとコンプライアンスの周辺を整えておくことが、価格交渉の土台になります。ここが曖昧なまま「AI で安くなるか」を議論しても、後でトラブルになったときには値下げ分どころではないコストが発生しやすくなります。
顧問先の情報を AI に入力する場面では、個人情報保護委員会「生成 AI サービスの利用に関する注意喚起等」(令和 5 年 6 月 2 日)を踏まえて整えておく必要があります。個人情報取扱事業者は、利用目的の達成に必要な範囲内であるかを確認したうえで生成 AI に個人情報を入力する旨が示されています。顧問契約上の利用目的の範囲を超える AI 利用は、それ自体が論点として顔を出してきます。
AI を提供する事業者を業務委託先として扱う場面では、顧問契約・秘密保持契約・個人情報取扱条項との整合が必要になります。「AI で工数が減った分だけ顧問料を下げる」というお話を進める前に、AI ベンダー契約条件・委託先管理台帳・顧問先への説明と、利用ログ・レビュー履歴・最終判断の記録が整っていることを確認しておくほうが安全側です (= 関連: AI 利用ログを残す理由)。
「AI で安くなる」というお話の前に、「AI を安全に使える体制が整っている」ことを顧問先にお示しできるかどうかが、価格議論の前提として効いてくる場面が多いと感じています。
所内で進めやすい範囲と、外と組んだほうが楽な範囲
顧問料の見直しを進めるとき、所内で進めやすい作業と、外部の伴走者と組んだほうが楽な作業は分かれてきます。
所内で進めやすいのは、たとえば次のような作業です。
- 顧問料の 3 層 (= 作業/専門性/支援) への現状分解
- 顧問先別の利用工数・面談頻度・相談件数の棚卸
- 価格表・サービスメニュー案の原案作成
- 顧問先向けの説明資料の素材作り
- 所内向けの AI 利用ガイドラインの整備 (= 叩き台)
外部の伴走者と組んだほうが楽になりやすいのは、次のようなところです。
- 顧問契約書・秘密保持条項の AI 利用に関する見直し
- AI を提供する事業者の契約条件の精査 (= 学習利用・データ保管地・第三者提供・SLA)
- 委託先管理台帳・個人情報保護法対応の整合性チェック
- 顧問料改定にともなう所属士業会の規程・倫理規程との整合確認
- 価格改定を業務 KPI (= 粗利・回収サイト・顧問先継続率) に紐付けた運用設計
「価格を変える」 と 「価格を変えてもトラブルが起きにくい体制を作る」 は別の工程です。 後者は業務理解と法務・情報セキュリティの両面を見られる伴走者と組んだほうが、 結果として早く落ち着いて着地しやすい場面が多いように感じています。
よくいただくご質問
Q. AI を業務に入れたら、顧問料は下げるものでしょうか 一律に下げる前に、顧問料を作業・専門判断・継続支援の 3 層に分けて見直すところから始めている事務所が多いようです。短縮されやすいのは主に作業の対価で、専門判断と継続支援は維持・引き上げ方向で考える余地があります。
Q. 顧問先から具体的に 「いくら下げられるか」 と問われた場面では 即答せず、 「何が顧問料に含まれているか」 をその場で共有するところから入る選択肢があります。 3 層の内訳と AI の利用範囲・レビュー工程をお示ししたうえで、 据え置き (中身入替) ・メニュー分離・範囲限定・価値追加のどの形が合うかを次回の打ち合わせの議題にする、 という流れを取っている事務所もあります。
Q. 顧問先から 「AI のリスクが心配」 と言われたら 価格のお話ではなく、 まず AI の利用範囲とレビュー工程のご説明から入ります。 学習に使われない契約形態を選んでいること、 ログが事務所側に残ること、 最終判断は士業の方ご本人が行うこと、 という 3 点をお伝えする流れが現実的です。
Q. 顧問先が他事務所と比較して 「あちらは AI 込みで安い」 と言ってきたら 3 層のうち、 相手が提示しているのが作業の対価部分だけである場合もあります。 専門判断・継続支援が含まれているのか、 比較の前提を共有してから話を進めるほうが、 議論がかみ合いやすくなります。
Q. AI を業務に入れた直後に値下げを切り出されたら 短縮できた工数を顧問先側のメリットに振り替える形 (= 面談頻度の追加、 即応性の向上、 月次レポートの拡充) をご提示し、 価格据え置きで中身を入れ替える選択肢を最初に出している事務所もあります。
関連記事
参考
- 個人情報保護委員会「生成 AI サービスの利用に関する注意喚起等」(令和 5 年 6 月 2 日): https://www.ppc.go.jp/news/careful_information/230602_AI_utilize_alert/
- 経済産業省・総務省「AI 事業者ガイドライン」(最新版の公開日は所管省庁の公式サイトでご確認ください): https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/connected_industries/sharing_and_using_data/aiguideline.html
- 個人情報保護委員会「個人情報の保護に関する法律についてのガイドライン(通則編)」: https://www.ppc.go.jp/personalinfo/legal/guidelines_tsusoku/
- 日本税理士会連合会: https://www.nichizeiren.or.jp/