結論: 税理士事務所の AI 活用は「業務全体に入れる / 入れない」 で議論せず、 業務プロセス単位で自動化レベルを決めていきます。 税務判断と顧問先データ生入力は、 最終責任が税理士に残る設計にとどめておきたいところです。
「クラウド会計の科目提案を職員がそのまま採用するのが怖い」
税理士の先生方から、 最近とくに伺うことが増えたご相談があります。 「クラウド会計の自動仕訳が便利になったのは助かるが、 職員があの提案をそのまま採用してしまうのが怖い」 という声です。 経理担当の方からは「8 割は当たる」「業務時間がかなり減った」 という肯定的な反応が多い一方、 最終判断の責任を負う税理士側からは、 残り 2 割の扱いと、 「採用判断の根拠が誰にも残らない」 ことへの懸念が並んで出てきます。
生成AI (ChatGPT 等) の登場以降、 税理士事務所の AI 活用は「会計ソフトの中の自動仕訳」 から一歩外に出て、 メール返信・FAQ 作成・社内ナレッジ検索・申告書作成補助にまで広がりつつあります。 本稿では、 税理士事務所が AI を業務に組み込むときに「ここまではやってよい」 と「ここから先は慎重に扱うべき」 の境界を、 現場で起きやすい失敗パターンと公式情報をもとに整理していきます。
「できる / できない」 が混在する構造
税理士業務は、 定型作業と専門家としての判断が同じワークフロー内に混在しているのが特徴です。 たとえば確定申告書を 1 枚作るプロセスを分解すると、 次のようになります。
- 資料の受領・スキャン・OCR
- 勘定科目の仮当て・仕訳入力
- 帳簿のチェック
- 税法上の取扱い判断 (特別控除の適用可否、 損金算入の是非など)
- 申告書への転記
- 顧問先への説明
このうち、 上 3 つは反復的で AI が強みを発揮しやすい領域、 下 3 つは法的判断・顧問先固有の事情・責任を伴う領域です。 同じ「申告業務」 と呼んでも、 AI に任せていい比率はまったく違ってきます。
「税理士業務に AI を入れるべきか」 を一括で議論するとここで詰まってしまいます。 業務をプロセス単位に分解し、 それぞれのプロセスで AI に任せる範囲を決める、 という前提から始める必要があります。
現時点で比較的安全に AI を使える領域は、 次のような業務です。
- 記帳補助・勘定科目の候補提示 ——クラウド会計の自動仕訳や、 生成AIに「この摘要なら勘定科目は何が候補になるか」 を聞く用途です。 候補提示までで止め、 仕訳の確定は職員または税理士が行う運用が前提となります
- 顧問先からの問い合わせメールの整理・要約 ——「先週いただいたメール 30 通から、 確定申告に関する質問だけ抽出して」「この長文メールの論点を 3 つに要約して」 という使い方です。 あくまで一次仕分けで、 回答そのものは人間が作ります
- 社内ナレッジ検索・FAQ 生成 ——過去の Q&A 集・研修資料・内部マニュアルを LLM に検索させて「該当しそうな箇所」 を提示する用途です。 職員教育や新人のオンボーディングで効果が出やすい領域です
- 顧問先向けの一般説明文の下書き ——「インボイス制度の概要を、 飲食店向けに 3 分で読める文章で」 など、 一般論レベルの説明文の初稿生成に使えます。 顧問先固有の数字・固有名詞を入れないことが条件です
これらに共通するのは、 「AI の出力が間違っていても致命的な影響にはなりにくい」「最終確認を人間が必ず挟む」「顧問先固有データを生のまま入れない」 の 3 点です。
慎重に扱う範囲
一方で、 現時点で AI に丸投げすべきでない領域も明確にあります。
税法上の取扱いの最終判断 「この支出は交際費か会議費か」「この特別控除は適用できるか」 を生成AIに聞いて、 その回答を顧問先に伝える運用は避けたいところです。 LLM は税制改正の反映が遅れていることがあり、 また「もっともらしい誤答」 を返すケースも報告されています。 判断の責任は税理士が負うため、 AI の出力を根拠としてではなく仮説として扱う設計が安全です。
申告書の自動作成・自動提出 申告書作成ソフトと AI を連携させて「下書きまで AI に作らせる」 運用は技術的には可能になりつつありますが、 提出前の全件レビュー体制がなければ修正コストが大きい領域です。 AI が誤った金額を転記しても、 提出責任は税理士に残ります。
顧問先データの生入力 クラウド LLM サービスに、 顧問先名・個人番号・売上金額・取引先名などをそのまま貼り付けて質問する運用は、 税理士の守秘義務と個人情報保護法令の両面から特に慎重な検討が必要です。
過去の判断と異なる選択を提案された場合 AI が「過去の処理と違うパターンを提案してきた」 ケースでは、 採用する前に必ず根拠条文と過去の経緯を確認する運用が望ましいです。
守秘義務と自動化レベル L0〜L4
税理士には、税理士業務に関して知り得た秘密を正当な理由なく他に洩らし、又は窃用してはならないという守秘義務が課されていると整理されています。 違反は懲戒処分の対象になり、 刑事罰の規定もあります。
ここでの論点は、 「クラウド LLM に顧問先情報を入力する行為が、 第三者への秘密の漏洩に当たるか」 という点です。 これは事務所ごとの契約・利用ツール・入力内容によって評価が変わるため、 一律の結論は出せません。 一方で、 少なくとも以下の整理は実務上有用と考えられます。
- 学習に使われる設定の LLM に顧問先固有情報を入力するのは避ける
- 法人契約・API 経由など、 入力データが学習に使われない契約形態を選ぶ
- 顧問先名・個人番号・固有金額をマスキングしてから入力する運用を標準化する
- 利用ログが事務所側に残る構成にする (誰がいつ何を入力したか追跡可能にする)
個人情報保護委員会は 2023 年 6 月 2 日付の「生成AIサービスの利用に関する注意喚起等」 で、 事業者が生成AIに個人情報・要配慮個人情報を入力する場合の留意事項を公表しており、 本人の同意なく要配慮個人情報を取得する結果になり得る入力には特に注意すべきだと示しています。 税理士事務所が扱う顧問先情報は、 個人事業主であれば個人情報そのものであり、 この注意喚起の射程に入ると考えるのが自然です。
事務所内で「どの業務をどこまで AI 化するか」 を会話するときには、 次の 5 段階フレームで議論すると合意形成しやすくなります。
| レベル | 内容 | 例 |
|---|---|---|
| L0 | AI を使わない | 重要顧問先の機密判断 |
| L1 | AI に 聞くだけ、 結果は人間が再生成 | 制度の概要調査 |
| L2 | AI が 候補を提示、 人間が選択 | 勘定科目の提案 |
| L3 | AI が 下書きを生成、 人間がレビューして提出 | 一般説明文・FAQ |
| L4 | AI が実行、 人間は事後監査のみ | (現時点で士業業務には推奨しない) |
新規に AI を入れる業務は L1〜L2 から始め、 運用が安定し誤りが許容範囲に収まることを確認してから L3 に上げる、 というステップが現実的です。 L4 は、 税務判断・申告に関わる業務では当面採用すべきではありません。
運用上の論点と委託先監督
技術的・運用的に押さえておきたいポイントを整理します。
- 入力データの取扱い: 利用する LLM が「入力を学習に使うか」「保存期間はどれくらいか」 を契約書・利用規約レベルで確認します
- アクセス権限: AI ツールを誰が使えるか、 顧問先別にアクセス制御できるかを設計します
- ログ: 誰がいつ何を入力したかのログが残る構成にします (インシデント時の調査・顧問先への説明責任のため)
- シャドー IT 防止: 職員が個人アカウントで生成AIサービスに顧問先情報を入力する事故が最も起こりやすいところです。 事務所として「公式に使ってよいツール」 を明示しておきます
- 委託先管理: AI ツールベンダーが個人情報保護法上の委託先に該当する場合、 委託先監督義務が発生する点を意識しておきます
- インシデント対応: 誤入力が起きた場合のエスカレーション経路・顧問先への通知ポリシーを事前に決めておきます
これらは「AI 特有」 というより、 従来のクラウドサービス導入時に整理してきた論点と同じ枠組みで議論できます。 新しい技術だからといって、 評価軸を一から作る必要はありません。
実務上、 とくに見落とされやすいのはシャドー IT の論点です。 事務所として公式ツールを契約しても、 職員が個人アカウントで別の LLM に顧問先情報を入力する事案は、 周辺で繰り返し報告されています。 「公式に使ってよいツール」 を明示することと、 「公式以外を使ってはいけない」 を明示することは、 別の作業として両方やる必要があります。
今後の見立て
ここまで整理したうえで、 今後の見立てをいくつか書いておきたいと思います。
自動化レベルの境界は、 モデル進化と規制整備の両側から動く LLM の精度向上に伴って、 L2 (候補提示) から L3 (下書き生成) に上げられる業務は今後も増えていく、 と見ています。 一方で、 個人情報保護法・各士業法の解釈整備や、 AI 事業者ガイドラインの更新によって、 「ここまでは L3 でよい」「ここからは L1 に戻す」 という線が動く可能性もあります。 自動化レベルの設定は一度決めて終わりではなく、 半年〜1 年単位で見直す前提で運用する必要があります。
「事務所単位の AI ポリシー」 が問われる段階に入りつつある これまでは個別ツールの利用規約を確認すれば足りていましたが、 複数の AI ツールが同時に走るようになると、 事務所全体としての方針 ——どの業務にどのレベルで AI を使うか、 誰が判断するか、 顧問先にどう説明するか ——が問われる段階に入ってきます。 個別ツールではなく事務所単位のポリシー文書を持つことが、 今後の標準になっていくと考えられます。
顧問先への説明資料が次の論点になる 「事務所として AI をどう使っているか」 を顧問先に説明する場面が、 これから増えていく見込みです。 顧問先側も AI を活用し始めているため、 「貴事務所はどう使っているのか」 が顧問先選定の論点に上がりやすくなります。 説明資料は事故対応のためだけでなく、 通常のコミュニケーションの一部として用意しておく必要が出てくる、 と見ています。
業務プロセスごとの自動化レベルと顧問先データの取扱いルールを先に整える、 という順番は、 当面動かさない方が結果的に短い距離で運用に着地する、 という結論は維持しておきたいところです。
参考
- 個人情報保護委員会「生成AIサービスの利用に関する注意喚起等」 (2023年6月2日公表) https://www.ppc.go.jp/news/careful_information/230602_AI_utilize_alert/
- 経済産業省・総務省「AI事業者ガイドライン」 https://www.meti.go.jp/shingikai/mono_info_service/ai_shakai_jisso/
- 税理士法 (e-Gov 法令検索 / 税理士法) https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=326AC0000000237 改正があり得るため最新版は公式サイトで確認のこと