ある中規模の税理士事務所で、こんな話を聞いたことがあります。決算期に、担当者の方が顧問先からの照会への回答ドラフトをChatGPTで下書きし、条文番号と通達名が揃っていたので、文体だけ整えて顧問先に送信したそうです。3週間後、顧問先から「あの回答の通達番号、国税庁のサイトで検索しても出てこないのですが」と問い合わせが入りました。確認してみると、通達は実在しませんでした。
これは仮想ケースですが、特定の事務所の実話ではなく、守秘の観点も踏まえて再構成した典型的な状況です。
業務の一部にAIを使った場面で、ときどき耳にする話です。固有名詞・条文番号・日付まで揃っているので、一読では違和感が出にくいことが多いようです。相手方や審査側から「この条文番号は最新ではないようです」と指摘されてから気づく、というケースもあります。
ここで論点になるのは、AIを使ったこと自体ではなく、下書きをそのまま最終成果物として外部に出した運用の側です。最終成果物には署名・記名・押印が伴うことが多く、その時点で責任は士業の方ご本人に帰属します。本稿は、関連記事の「架空判例の引用が起きる場面で何を確認するか」「引用元の確認を業務の中で組み込む」と対をなす形で、「下書き」と「最終成果物」を分ける考え方と、確認を業務の流れに置く運用例をご紹介します。
なお本記事は士業実務における一般的な論点の紹介で、 個別事案の適法性判断・契約条項のリーガルレビューではありません。AIベンダー利用規約・AI事業者ガイドライン・各士業法は改定が続く領域なので、 実際の運用は、 所属士業会の最新指針・顧問弁護士の見解・ベンダーの最新公式規約・最新の法令テキスト (e-Gov法令検索 等) でご確認ください。
「下書き」と「最終成果物」を別物として扱う
業務の一部にAIを入れるとき、最初に事務所内で合意しておきたいのが、AIが出すアウトプットの位置づけです。完成度が高く見えても、まずは社内向けの下書きとして扱う、という運用が一つの選択肢になります。最終成果物として外部に出すまでに、士業の方ご本人による確認・補正・承認を間に挟む流れです。
下書きと最終成果物の境界が現場で動きやすい場面には、いくつか共通点があります。
- 体裁が整っていて、見た目の完成度が高い場面
- 期限が迫っていて、時間の余裕が少ない場面
- 1人で書いて、1人でレビューして、1人で送信できる場面
「下書きフォルダ」と「提出物フォルダ」を分けておき、提出物フォルダに入る前に確認のログを残す、という運用を取っている事務所もあります。
最終責任は士業の方ご本人にあります
士業の業務には、業法に基づく独占業務・記名押印義務・本人確認義務などが置かれています。AIを使ったかどうかにかかわらず、書面の正確性・適法性に対する責任は、署名・記名・押印を行った方ご本人に帰属する、というのが基本的な整理です。
実務上の整理を並べておきます(最終的な判断は所属会の規程・最新の通達でご確認ください)。
- 税理士法では、税務代理・税務書類の作成が税理士の専属業務とされていて、税務書類には税理士の署名・押印が求められます
- 行政書士法では、官公署提出書類・権利義務に関する書類の作成について、行政書士の方ご本人の責任で作成・記名押印することが求められます
- 司法書士・弁護士の業務でも、登記申請書類・訴訟書類等について、本人確認・代理権の範囲を踏まえて、士業の方ご本人が責任を負う形になっています
AIが下書きを書いたという事実は、責任分担を変える要素にはなりにくいようです。AIを提供する事業者の利用規約も、多くの場合「出力結果の正確性は保証しない」「業務利用の最終判断は利用者の責任」という条項を置いていて、責任の分かれ目は利用者側(=士業の方ご本人)に寄っているように読めます。
提出前の場面で見えやすい三つの形
現場の相談を伺っていると、AIの下書きをそのまま出した場面で、いくつかの似た形が見えてきます。
一つ目は、事実そのものが間違っている形です。存在しない判例・通達・条文番号・組織名が、もっともらしい体裁で出てきます。条文番号や年月日まで具体的に書かれているので、形式チェックだけでは見抜きにくいことが多いです。米国のMata v. Avianca事件(架空判例の引用で制裁を受けた事案)が象徴的ですが、これはAIを使わなくても起きうる事柄が、AIで頻度を増しているという見方のほうが近いかもしれません。詳しくは 架空判例の引用が起きる場面で何を確認するか を参照してください。
二つ目は、古い情報・改正前の条文が混ざる形です。AIが学習した時点が古いと、改正前の条文・廃止された通達・旧様式が混ざることがあります。法令・税制は毎年改正があるので、特に税理士・社労士の業務では、年度をまたぐと書面の妥当性が変わる場面が出てきます。
三つ目は、事務所の文体や、顧問先の状況・過去の交渉履歴を反映できない形です。「正しいけれど、依頼者の事情に合わない」文章になります。文面としては成立していても、相手方との関係や交渉戦略の文脈で見ると別の表現が望ましい、という場面も出てきます。
確認を業務の流れに置く運用例
確認の手順を業務の流れの中に置いておくと、属人差が減りやすくなります。いくつかの工夫をご紹介します。
入口で「下書き」とラベルを付けておく
AIの出力を貼り付ける場所を、「ドラフト」フォルダ・「ドラフト」ファイル名に固定しておきます。最終成果物として運用するファイルには直接貼らない、という流れにしておくと、コピペの経路自体が分かれます。
提出前に、引用元を一次資料で確認する
引用した条文番号は、最新のe-Govや各士業会のデータベースで実在を確認します。引用した通達・告示は、所管官庁のサイトで直接検索します。数値・日付・固有名詞は、決算書・登記簿・契約書の原本と突き合わせます。
担当者と承認者を分ける
下書きを作った担当者と、承認する士業の方ご本人(あるいは上位者)を別の方にしておきます。承認の時点で「AI出力を含むこと」「どの章をAIが下書きしたか」をログに残す事務所もあります。
提出記録を残す
提出した最終版・提出日時・承認者・AIの利用範囲を、一元的に管理しておきます。後から経緯を振り返れる状態を作っておく工夫です。
確認体制の詳しい設計は、別記事「引用元の確認を業務の中で組み込む」にまとめています。
個人情報の論点も同じ場面でつながります
AIの下書きを外部に出す場面は、誤情報の論点だけにとどまりません。情報の入口・出口の両方に、セキュリティ・コンプライアンス上の論点がつながります。
個人情報保護委員会は2023年6月2日付で「生成AIサービスの利用に関する注意喚起等」を公表していて、個人情報取扱事業者・行政機関等に向けて、生成AIに個人情報を含むプロンプトを入力する場合の留意点を示しています。要旨を抜粋すると次のとおりです。
- 個人情報を含むプロンプトを入力する場合、特定された利用目的の達成に必要な範囲内かを十分に確認すること
- あらかじめ本人の同意を得ることなく、応答結果の出力以外の目的(機械学習等)で個人データが取り扱われる場合、個人情報保護法違反となる可能性があること
- 提供事業者が個人データを機械学習に利用しないこと等を十分に確認すること
- 一般利用者向けにも、応答結果に不正確な内容が含まれるリスクを踏まえて適切に判断するよう留意点を示していること
士業の実務でAIに依頼者の情報を入力した時点で、個人情報保護法上の取扱いの責任が士業側に発生する、という整理になります。最終成果物として外部に提出する場面では、
- 守秘義務(各業法・依頼者との委任契約)の論点
- 提出書面の正確性に関する論点
- 行政庁からの照会への対応の論点
が同時に絡んでくる構図です。
経産省・総務省「AI事業者ガイドライン」も、業務でAIを利用する事業者に対し、人間の関与・透明性・アカウンタビリティの方向で整理が進められています。最新版の文言・適用範囲については、所属会・顧問弁護士・公式サイトの最新版でご確認ください(本記事は最終版の条文文言を確定情報としては引用していません)。
提出前の確認観点
冒頭の話のように「条文番号と通達名が揃っているから大丈夫」と感じる場面で、いくつかの観点を間に置いておくと、AIを使ったかどうかにかかわらず、後で困りやすい経路が減ります。
- 引用した条文・通達・判例の実在を、一次情報で確認したか
- 条文・通達は最新版か(改正・廃止のチェック)
- 数値・日付・固有名詞を、一次資料と突き合わせたか
- 依頼者の個人情報・固有事情がプロンプトに含まれていた場合、利用規約や学習利用のポリシーを確認したか
- 文体・トーンが事務所の標準と揃っているか
- 担当者と承認者が別人で、承認のログを残したか
- 最終版にAIの利用範囲を内部メモとして記録したか
最終成果物への責任は士業の方ご本人にあって、AIに分散させることはできない構造です。下書きと最終成果物を分けて、確認の手順を業務の流れに置いておく、という考え方は、AIを業務の中に入れる場面で取られやすい運用の一つです。
関連記事
参考
- 個人情報保護委員会「生成AIサービスの利用に関する注意喚起等」(令和5年6月2日): https://www.ppc.go.jp/news/careful_information/230602_AI_utilize_alert/
- 経済産業省・総務省「AI事業者ガイドライン」関連ページ(Ver1.2、2026年3月31日公表。最新版の公開日は所管省庁の公式サイトでご確認ください): https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/ai_network/02ryutsu20_04000019.html